風のしらべ

07/12/31

今日は母には手伝ってもらうことがなく、

気持ちが過去に戻ってしまうようだった。

亡くなった父や姉の元気なころが蘇って、

何故ここにいるかが不思議に思うらしく、

「早く帰らなければ叱られる」という…。

今年もあと数時間で暮れようとしている。

大なり小なり色々なことがあった中でも、

過去の記憶にないほどびっくりしたのは、

忘れられない先月13日の朝6時半だった。

長男の緊急事態を報せる電話を受け取り、

一時間後には仙台へと自宅を後にした…。

「くも膜下」の言葉が頭を駆け巡っては、

何度も過ぎる最悪の結末を否定し続けた。

慣れないながらも東北新幹線を乗り継ぎ、

辿り着いた脳神経外科病院のベッドには、

検査を終えたばかりの長男が眠っていて、

ICUに運ばれていたのが嘘のようだった。

一週間の経過観察入院を経た休暇中には、

セカンド・オピニオンを兼ねた帰省をし、

こちらの専門の大病院でも「大丈夫」と、

信じ難いような太鼓判を押して頂いた…。

発症から一ヶ月目より半日勤務で慣らし、

今はすっかり元のシフトに復帰していて、

気遣いながらの十日余りが経っている…。

強靭な運気だったとは決して言い切れず、

新婚間もない旨子ちゃんの機敏な判断が、

彼の運命の明暗を分ける始まりだった…。

07/12/30

寺町の改進亭にお買い物に行った。

山科に戻り西野でお買い物をした。

今日は母には大きばりをしてもらい、

一夜漬け用のお昆布切りに始まって、

煎り胡麻すりや小芋の皮剥きだった。

早めに「送ろうか」と言ってみたら、

「いなへん」と手首を横に振った…。

午後に「蝋梅」を手折ってもらい、

今年もご近所さまにお配りした…。

「千両」の実乗りがとても良くて、

これだけでお正月気分になった…。

「黒豆」「棒だら」「たたき牛蒡」が出来た。

07/12/29

おじぃさんのお命日は明日だけど、

一日お早いながら墓参を済ませた。

(今津で仏花を買っておいた)

お仕事でお世話になっている診療所様の、

十五周年記念パーティーにご招待を頂き、

御所の近くの「ブライトンホテル」まで、

Kを送りがてら母を乗せて連れ回った…。

Christmas Eveは過ぎているというのに、

「平安女学院」や「ブライトン」などは、

イルミネーションの飾りがまだ華やかで、

車窓を眺めていた母が歓声を漏らせた…。

07/12/28

赤かぶらは「藤樹の里」で買っていて、

母がヘタや凹んだところなどをこそげ、

一夜漬けの下拵えを手伝ってもらった。

二男の「お年賀」を飛び入りで仕上げた。

07/12/27

お昼は久し振りにお好み焼きにした。

キャベツは母が丁寧に刻んでくれた。

今津に今年最後の墓参に行った。

道の駅→「藤樹の里」に寄った。

07/12/26

昨日も一昨日もK銀行のATMが満員で、

外にまで並んでおられるのを見ていた。

(それで今朝は一番に行ってみた)

お揚げさんを炊いておいたので、

お昼においなりさんを拵えた…。

母は喜んで二つをおよばれした。

二〜三日前から風邪気味だったのが、

朝から頭と節々も痛くお薬を飲んだ。

(母を送ってから少し横になった)

07/12/25

母を六日までの昼間を預かることになった。

醍醐への用事にも道すがらを乗せて走ると、

車の好きな母はとても嬉しい表情だった…。

お勝手ではじゃが芋や丸大根の皮むきなど、

何なと手慰みになることをしてもらった…。

少し離れたお友達のSさまがお越し下さった。

07/12/24

世間じゃChristmas Eveというのに、

もう二人暮らしにも慣れてしまって、

ごく普通のお夕飯をおよばれした…。

Kが出先の帰路にローヌに寄ったらしく、

ショートケーキのお土産を買ってきた…。

07/12/23

お年賀も出来上がったことから、

久し振りに解放感が戻ってきた。

遅がけからお買い物に行った帰り、

東の空に待宵月が昇り始めていた。

彦根の友人からケイタイメールが入っていた…。

気付くのが遅くなってまだ返信をしていないが、

「歳を重ねて手紙を書くのが億劫だから…」と、

思い出したころに届く彼女らしいメールだった。

07/12/22

冬になると足の裏がカサついてきて、

パンストなら伝線がいってしまう…。

お風呂上りに「バーユ」をすり込み、

決めた靴下を履いて寝ることにした。

初めてからまだ二日目だというのに、

ビックリするほどツルツルになった。

暮れも押し迫ったという土曜の午後…。

雨と風に打たれた「蝋梅」の葉が落ち、

狭い片隅から道路にまで運ばれていて、

独り舞台の冬のワルツを奏でていた…。

やっと手元から「お年賀」が離れた。

お仕事用バージョンに手間取った…。

07/12/21

「水仙」が今にも咲きそうになった。

「マーガレット」にも蕾が乗った…。

窓越しの「シクラメン」が咲き揃った…。

お一つ差し上げたいと思っていたもので、

お目には触れて頂けず臥せておられる…。

この時期になるとお招き下さり、

「おナベ」などおよばれした…。

年内も余すところ十日ばかりとなり、

何処のスーパーも活気付いていた…。

07/12/20

郵便局扱いの払込伝票によるお支払いは、

今まで窓口に限るものと思っていたけど、

局内のロビーは今日も満員で有ったため、

「ATMならお早いですよ」と仰った…。

初めてにしてはスムーズに行えたものの、

「JP」になる前からだったのだろうか…。

(読み取り装置のないATMもあるらしい)

X'masバージョンの素敵なメールを頂いた。

パソコン教室に通っておられるお方だけど、

こんなにご上達されたのだと嬉しくなった。

07/12/19

銀行や郵便局にゆく用事があり、

三度も出たり入ったりした…。

売りに出ていた端のお向かいさんに、

お独り住まいの方が入居してみえた。

07/12/18

またまた仙台から吉報が届いた…。

今日の検査結果では回復が順調で、

念のため来月末に「MRI」を受け、

その後は1〜2年後でいいらしい。

頼んでおいた自家焙煎の道具が届いた。

「道具」というほどでもないのだけど、

オートで仕上がる高価なものとは違い、

「ゴマ煎り器」に似た「アミ」であり、

手加減で燻ぶらかせてゆくのである…。

斜めお向かいのAさんにお伺いした。

少し前までは始終お邪魔をしていて、

久し振りのお喋りに花を咲かせた…。

07/12/17

寄り道をする積もりで家を出てしまい、

余りにも風が冷たくてぶるっとした…。

コートを取りに帰るにも時間がなくて、

バイクなのに薄着だったのを後悔した。

竹鼻の郵便局ははみ出るほどの満員で、

何時になれば順番が来るかと思いきや、

お年賀や小荷物の窓口は直ぐだった…。

ご入院されてるお友達が可哀想になった。

病院はちょっと遠くになってしまわれて、

どんなにお寂しい思いでおられるだろう。

07/12/16

お友達のお友達からお電話を頂戴した…。

気掛かりになっているお友達のご容態で、

とんでもない方向に進んだことを察した。

coffeeの生豆からの自家焙煎法のことは、

まだ先々月に知ったばかりだったけれど、

素晴らしい香りとお味に魅せられていて、

会得されているノウハウをご教授頂いた。

07/12/15

「ハボタン」を植木鉢に移し替えた。

気になりながら放ったらかしていて、

早くもお正月が来たみたいになった。

この地に住んで40年近くだけど、

付かず離れずながらのお友達で、

そんなOさんがお越し下さった。

07/12/14

修理が出来てくる日なので送って行った。

ついでにお友達のところなど各所を回り、

山科のメインストリートに差し掛かると、

上手く「義士祭り」の行列に遭遇した…。

お巡りさんの交通整理に従って待つ間に、

討ち入り装束の様子をカメラに収めた…。

Kは忘年会で早い時間に駅まで送った。

ご無沙汰しているO先生をお訪ねした。

07/12/13

気掛かりにしているとある彼の環境は、

矢張り未だ日の光の届くことはなくて、

冷たい師走の風が凍みることだろう…。

同じ団地のお友達お二人をお訪ねした。

どちらも今年ご主人さまを亡くされた。

07/12/12

「数珠珊瑚」の陰になりながら、

「バビアナ」が芽吹いていた…。

数珠珊瑚の生育がとても良くて、

支柱に沿わせて向きを変えた…。

昨年の芽吹きは何時だったかと、

「しらべ」を読み返していると、

先月の23日と判ったのだけれど、

12月の初めに風邪を引いていた。

07/12/11

朝一番に頼まれものの「胡桃パン」を焼いた。

先日Kはお客さまのガレージに止めていて、

バックで後部ボディを直撃されてしまった。

幸い打ち合わせ中で怪我をすることはなく、

修理も先さまが全てお持ち下さるのだけど、

昨日から私の「軽」が代車に使われていて、

バイクがあっても雨は怖くて乗らないので、

こんな日こそ「お年賀を」と気合が入った。

少しずつ暮れのお掃除もどきを始めた…。

最近お友達のところにメールをお送りしても、

直ぐには着信しなくなったのは何故だろう…。

07/12/10

今日は暖かくバイクでお出かけした。

「コハクチョウ」さんの情報を頂いた…。

ファミリーで十四羽を発見されたらしく、

草津まで遣ってきているとのことだった。

07/12/09

DLしたお年賀をワードで編集しようとすると、

「windowsインストーラ」の画面が出てきて、

ワードが全く使えない状態になってしまった。

「office」の再インストールを何度試みても、

「ファイルがみつからない」というエラーが発生し、

Drさまに直して頂かねばならないと思いきや、

「office」の中に「setup」のフォルダがあり、

「ダメで元々…」とそこから実行を進めた…。

すると見事に「修復」&「復元」が完了した。

岩倉〜市原に行った…。

makoさまがお越し下さった。

07/12/08

神戸の「ルミナリエ」に初めて行った。

それはそれはもの凄い人出だったけど、

大震災で犠牲になった方々への鎮魂と、

復興への願いを込められたこの祭典が、

風物詩として続けられるよう祈った…。

元町〜三ノ宮界隈を歩いた。

07/12/07

山科郵便局〜ヤマダ電機で蛍光灯を買った。

それから平和堂〜西友にてお買い物をした。

07/12/06

長男たちはお礼を言って仙台に戻った…。

こんなにも長くいたのは初めてのことで、

本当にあっという間の六日間を過ごした。

私達も 二人の暮らしに慣れて久しいけど、

時の流れが夫々の立場を変えて蘇った…。

身体には一層の気配りをするであろうが、

呉々も達者で東北の冬を越しておくれ…。

07/12/05

習慣から無意識に朝一番の空を仰ぐと、

東南の一角に有明月が冴え冴えとして、

明け遣らずの天空に暫し目を奪われた。

長男たちと高島屋に行った…。

07/12/04

これからも重ねる予測の「歳」って、

哀れを意味するものかも知れない…。

何を欲するというものは殆どなくて、

失いたくないものが浮かんできた…。

それは最期までの望みとでもいうか、

矢張り「分別」でないかと思った…。

叔父と年齢がほぼ同じと思うのだけど、

このようなお方の独り善がりに寄って、

今や降り掛からんとする過剰な迷惑に、

得体の知れない恐怖で身震いがした…。

所属のお若い講師さまがたには、

ご多忙の中をお煩わせしていて、

Yさまにも見守って頂いている。

九月で閉鎖された地域のスーパーが、

「ローソン」となってオープンした。

高齢者向きの商品が扱われるようで、

実はデビューを楽しみにしていた…。

07/12/03

今日の講座はお休みさせて頂いた…。

朝からのお湿りは強く降るでもなく、

何処にもお出かけしないで寛いだ…。

07/12/02

長男たちが大阪にゆくので山科駅まで送った。

疎水べりの紅葉が一段と鮮やかに染め上がり、

この地で育った長男には最高の贈り物だった。

大阪からは二男と待ち合わせて戻ってきた…。

07/12/01

一晩ゆっくりと乗り物疲れを癒した長男たちは、

「セカンド・オピニオン」(第二の意見)を求め、

父と伴に帰省の目的である桂の大病院を訪れた。

家を出て僅か一時間半後に朗報のメールが入り、

嘘でないこの信じられないような報告の文字に、

私は何にこの感謝を捧げればいいのだろうかと、

一気に高鳴る歓喜を抑えることが出来なかった。